前立腺肥大奮闘記 

【前立腺肥大奮闘記】その3

著者 のだ けんご

2009年2月起草

その夜、明日は福岡に帰れる辛抱、しんぼう、尿意はあるが殆ど出ず、その夜の時間の長かったことか、ほとんど眠れず苦しい夜でした。

翌朝やっとの思いで広州の空港へ、

余りの痛さに空港の薬局へ痛み止めを求めるが言葉が通じず漢字を頼りにパッケージを見て生理痛とあったので多少は効くだろうと買い求め服用、大して変わらず、

飛行機が 飛び立てば二時間半で福岡だと想うと、あと少しの辛抱だと自分に言い聞かせ搭乗、


ところがどっこい飛行機は飛び立たず、客室乗務員の案内が管制塔の指示により約六十分待機しますとアナウンス、滑走路は何本もあるのに?

羽田空港みたいに渋滞の様子も無く、何かおかしいと想いつつ機内のトイレに何度?足を運んだか

。一度入ったら七〜八分は占拠、客室乗務員は、おかしいとは想わんのか?

一時間程したらエンジンを始動の様子、しかしエンジンは一発で動かず、たぶん今まで乗客を騙し修理していたのでは?多分そうで有ろう?

中国南西航空のバカタレが。

やっとエンジンも動き滑走路へ一路福岡へと飛び立ち、一安心だが私はいよいよ苦しく成るばかり、

周りの乗客には気の毒だが、このまま墜落したほうが楽になれると本気で考えた。本当に落ちたら、我が妻 恵子さんは何を想うか?死ぬ時は交通事故よと寝言のように言っていた事が頭をよぎる、
保険金は幾ら貰えるのか?
しかし早く福岡に着いてくれと願う気持ちでいっぱいである

やっと福岡国際空港に着陸、税関検査は顔パス状態でハイお疲れ様と通してくれた、   

インフォメーションカウンターで一番近い泌尿器科の病院はと尋ねると、パソコンで検索、比恵にありますとの返事、

救急車の以来をと考えていた所に,今回同行の中村氏の御子息が高級乗用車で中村氏をお迎え、すぐに帰るとの事で便乗をお願い、

私の係り付けの
泌尿器科へ高速道路をぶっ飛ばして貰い、 本村医院へ倒れこむ、車中で状況を妻、恵子さんへ通報、

本村先生に早急な手当てをお願い、先生もこれは一大事とばかりに、我が息子の尿道へホースを挿入、

さぞ痛いだろうと思い気や、今までの痛みと比較したら、軽い軽い、ホースが膀胱へ達したら、先生が「入った」と一人言、トレーを用意し手元のコックを解放位置にセットされたら・・・・・・・
 
次へ続く 


【1963年  のだ けんご19歳】


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